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小田きた出演「音楽夢くらべ」音源

小田きた出演「音楽夢くらべ」音源

「音楽夢くらべ」はNHKの視聴者参加ラジオ番組で、課題は「音楽の印象を言葉に表し、新しい歌詞に即興の節をつける」というもの、正確な放送日時はわからないが、話の内容から、1960代初めと考えられる。孝四郎長男、邦郎の妻、展子の母、小田きたは当時72歳。

1)オープニング

https://drive.google.com/file/d/1vPkYO4CapkNGmQaMEaVsLISx887qBtIz/view?usp=sharing

審査員は、飯沢匡、伊馬春部、長門美保、高木東六、服部正の5名、ただし実際にコメントしたのは、飯沢、高木、服部のみである。
審査員のコメント以外の部分を以下の音源で聴くことができる。審査員の発言は書き起こし、必要に応じて要約した。

2)音楽の印象を言葉に表す

https://drive.google.com/file/d/1OZRw_nMpYsv2zVK-Qeo_XYEu-349OUME/view?usp=sharing

コメント

飯沢

あのーいまだかってこういう境地にあったことないとおっしゃいましたけども、立派に、そのー充分に、想像なさってね、あのーほんとにいまの音楽はなんか目まぐるしいっていいますかね、あっちーからも音が聞こえこっちからも音が聞こえ、こうなにかかけあいみたいなところがありますからね ちょうどこっち側とあっち側から あー呼びかけられて ひっぱられてるという感じが充分にありますし 確かに そしてこう 始まってまた終わるかと思うとまた始まる というね、なんかこう ぐるぐるまわったようなところがあるし、で 確かにいまおっしゃったような嬉しいような にぎやかなような いろいろ複雑なところが もう実によくおっしゃったし、大変結構です。

服部

本当にそのご高齢で こういうところに出ていらっしゃるということはもうこれはね ほんとに拍手をもって我々はお迎えしなきゃなんないとこね、それもう、やはり自信がおありになったと思うんですね これだけのね見事なね、このドリームをおっしゃるというのはねもう、相当のお心だと思うんです、こりゃ、大変なもんですよね、最近でたドリームじゃぼくは一番いいんじゃないかと思う。でいまのねあのたってってぃったってぃってっとってのは あれはそのテーマなんですよね、それをねおまごさんとやる子供らしい音楽ですね、それであのたかちきたかちきたかちきたかちき、といってんのがね、あれがなんかいそがしくていそがしくてしょうがない、というようなことをね、ひじょうにうまくもうなんともうまくおっしゃいましたね  これわたくしが聞いたときは高木先生とこれむずかしいからよわったな、ていってたんですよね、そしたらみごとにお答えがでちゃった、もなんとも頭下がりました。

 

3)歌詞に即興の節をつける

https://drive.google.com/file/d/1lwWxWu-GB1uJLegQp1726xevzcsoy3WT/view?usp=sharing

高木

いいですねえ、なんかこうさっぱりとして、それから遠い、あのぅ麦笛の感じが、でひどく愛嬌もなし、なんかなつかしさもそのなかにあって、非常に適当だと、思います、私は何と言っても驚くのは、72歳のねえ、お年寄りがこれだけハイカラなねえ、かなり 、えー近代の人が歌ってもね、おかしくないメロディが出たと、いうことが大変わたしはおどろきです。

司会が、とにかくいつも申し上げますが 明治の方はハイカラですよね」と受けると、審査員が口々に「ほんとにハイカラですねえ」、「いまよりずっとハイカラ」、「いまより」、「そりゃあ高木先生のやや認識不足で」、「明治の人のほうがね、特にね、あのーこのご年配の方は非常に音楽教育ね 非常に行き届いてた」などと盛り上がったところで、司会が、「あ、飯沢さんのおじい様」と持ち上げると、飯沢「ええそうそうそうそう」と満足げに答える(飯沢匡は和歌山県出身)。

4)

司会とのやりとり

https://drive.google.com/file/d/1orWnahCMQWcEbBvxcqJ3JgqKzpCF9Qfh/view?usp=sharing

「72歳のねえ、お年寄りがこれだけハイカラなねえ、かなり 、えー近代の人が歌ってもね、おかしくないメロディが出たと、いうことが大変わたしはおどろきです」という高木のコメントは注目されよう。この当時、この年代の女性が馴染んだ大衆歌謡は短調が多かった。その証拠に、伴奏者は短調で伴奏を進めようとしている。しかしきたは、それに引きずられることなく、長調の旋律を歌い始め、途中で転調、ヨーロッパ近代音楽の作曲法にもとづいた展開を見せているからだ。

きたは特に音楽の専門教育を受けたわけではないが、遺族によれば、晩年は熱心にラジオを聴いていたという。ただし、明治の人と一派ひとからげにされて、最後に司会者は「飯沢さんのおじい様」を引き合いに出して、飯沢を持ち上げている。

きたは、日本女子大卒、相馬御風に師事、晩年には大妻コタカ著『和裁講座』にも執筆協力(サイトの邦郎・展子プロフィール参照:https://www.multi-rhythm.com/profile/kunio_onchi)    しているにもかかわらず、「家のことしかしたことござぃません」などと自己アピールを過剰に制限している。

審査委員のひとり、長門美保は日本女子大學校附属高等女學校出身、審査員との稀なる共通項があるなど、はしたない女性であれば話題にしそうである。にもかかわらず、ぶっきらぼうに「家のことしかしたことござぃません」と言ったのはなぜか。

娘の展子が嫁いだ相手の姉で、海軍軍人と結婚、離婚して、展子と年の差10歳ほどしか違わない息子を2人連れて戻り同居していた人物の名前、三保子(読みはミオコ)を連想させるといった状況は、ひどくプレッシャーのかかるものではなかったか。

ラジオ番組出演の経緯は定かではないが、当時、NHKに(音楽の専門家でないにもかかわらず)三保子が出入りしていたことを考え併せるに、審査員の顔ぶれ、コメントは偶然とは思われない。恐ろしい環境に置かれた娘のために、精神力を振り絞って出演、自らの学歴などは口にせず、「相当のお心」などと水を向けられても、おとぼけに終始せざるを得なかった、きたの心中は察してあまりある。

伝えたかったことを公にできるまで60年もかかった世の中というものがあると言わねばなるまい。

 

 

 

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のぶの通帳

のぶの通帳

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孝四郎妻、のぶが使っていた通帳。

晩年、思うように外出できなくなってからは、のぶの代わりに展子が通帳と印鑑を預かり、銀行に赴いていた。

のぶは、山梨県石和町の出身、山梨県人と○○県人(真偽のほどは定かでないので固有名詞は伏せる)の歩いたあとは草も生えないといわれる県民性を体現しているような人物で、その山梨県人気質を彷彿とさせる爆笑エピソードが、家にも実家の親戚の昔語りにも溢れていた。

そのひとつが通帳にまつわるもので、実家の親戚が家に泊まりに来た時に、夜こっそりとやってきて、通帳を見せながら「ほら、こんなにある」と言ったというものである。生家は金融業であったため、県民性がさらに色濃く表れたのだろうか。実家が裕福であるという絶対の自信ゆえか、はたまた生来のものなのか、その傍若無人の振る舞いは独特であり、財界に力のあった親戚を自分のほうが年長であるため○○○坊主などと呼ばわり、近隣の、フィクサーと呼ばれた財界人のことを「あれは戦後、鉄くずを売って儲けたのよ」と嘯くなど、数々の決め台詞や名語録があった。孫にとっては、かなり難しいおばあちゃまであったが、どこか憎めないところもあった。

一方、孝四郎との文化的な環境の違いは推して知るべし、山梨県立甲府高等女学校在学中、孝四郎が学校に来て、体育館でピアノを弾いているのを、「女の子みたあじゃね」と、級友とともに遠くからこっそり見ていたという(展子伝)。それゆえ、家には、悲喜こもごもといったレベルには収まらない数々の事件が起こった。いやむしろ、この異文化接触が、めぐりめぐって孝四郎の創作に繋がったといえるかもしれない。

 

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フランスに出発する駒井哲郎を見送る孝四郎の傍らで、孝四郎に視線を添わせることなく、カメラに向かって、しっかりお得意のポーズをとる、のぶ。

 

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展子のピアノ室の前で、元子と。撮影者は邦郎、部屋にひっそりといるのが展子。