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恩地(小田)展子、NHK新潟放送合唱研究会、同QK子供サークル活動記録

恩地(小田)展子、NHK新潟放送合唱研究会、同QK子供サークル活動記録

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恩地(旧姓小田)展子が、邦郎と結婚前、疎開先の新潟で、NHK新潟放送合唱研究会、同QK子供サークルにピアニストとして所属していた時代に、実演、「子供の時間」で放送された放送劇のひとつ、「雪のなかのトランプたち」の台本コピー、メンバー出席簿。展子自身によって、付箋で注意が喚起されている。展子手書きの楽譜が残されていることから、この作品に関しては展子が作曲したものと思われる。

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展子はピアノを谷康子氏に師事。東京音楽学校(現東京藝術大学)上野児童音楽学園尋常科に学んだ(邦郎プロフィール参照:https://www.multi-rhythm.com/profile/kunio_onchi)が、作曲については独学。ただし、残されたノートには、音楽史などの専門書を書き写して自習した跡が見られる。

また作曲コンクールに応募しており、その楽譜(時代を考えれば当然といえる「日の丸の歌」)と、朝日新聞東京本社企画部長・遠山孝氏よりの、入選には至らなかったものの「全國からの應募總数四千三百七十二編中最後の審査の三十一編のうちに選ばれましたことをお知らせいたします。」とのの丁重な手紙(昭和二十四年四月十六日付)が保存されていた。

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展子の父、小田末吉(先祖は新潟県出雲岬の宮大工)は建築家、小田組経営、第二次世界大戦前に北京出張所を持ち、疎開先の新潟でも設計に携わる(写真)。母、きたは島根県出身、日本女子大学文學部卒、足利時代の美術を研究する傍ら相馬御風に師事、文筆活動も行った。水引の細工物を作るなど、手先の器用さは元子の記憶に印象深く残っている。写真は日本女子大学卒業アルバムより。

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展子の母、きたについて、相馬御風に師事していたときに、早稲田大学文学部の学生に赤線区域に連れられていったことがあり、女将の、ここはあなたのようなかたが来るところではないとの心遣いにより、裏口から退出したというエピソードを元子はたびたび聞かされていた。くりっとした目が可愛らしく、小柄にもかかわらずメリハリの効いたプロポーションは、当時としては目立つ風貌であったと思われる。恩地家では誤解されたこともあったが、知人に青鞜社メンバーはあったものの、運動には参加しておらず、いたって古風な躾を体現していた。ちなみに息子は文学部を志望したものの許されず、早稲田大学理工学部に進学した。

 

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元子宛の葉書は、85歳のときに書いたもの。書き出しといい、自分の娘である展子についてのコメントといい、笑い声による終わり方といい、文章の冴えは85歳という年齢の印象を遥に超えるものである。