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ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Bonjour – bonsoir, images de Nathalie Parain ; scénario du Père Castor

Bonjour  bonsoir (Albums du Père Castor), images de Nathalie Parain ; scénario du Père Castor;Paris, Flammarion Éditeur , 1934

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出版人ポール・フォシェ(1898-1967)が1931年に発刊したシリーズ,、
ペール・カストール・アルバム、通称「カストール文庫」のうちの一冊、
子供の何気ない日常が描かれている。

シリーズを代表する画家のひとり、ナタリー・パラン(1897-1958)による絵。
表紙欠損。

紙片(日めくりカレンダーの1頁)は孝四郎自身による。

 

 

 

 

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Emil Högg,Das Ornament oder Schmuckwerk 1925

Emil Högg Das Ornament oder Schmuckwerk. Strelitz in Mecklenburg 1925.

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ドレスデンを拠点として、建築家、工芸家、教育者、後に画家としても活動した
エミール・ヘック(1867-1954)による、建築装飾についての書。
46頁の概説および作品リスト、図版(建築写真、図案など)40頁。
蔵書印あり。紙片(原稿用紙)は孝四郎自身による。

 

 

 

 

 

 

 

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Kühnel, Ernst,Miniaturmalerei im islamischen Orient 1923

 

Kühnel, Ernst,Miniaturmalerei im islamischen Orient Sechstens bis Zehnten Tausend;  Die Kunst des Ostens, herausgegeben von William Cohn, Band VII,Bruno Cassirer Verlag, Berlin, 1923

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ドイツのイスラム美術史家、イスラム美術収集家であり、1931年より20年間、ベルリン国立美術館イスラム部部長を務めたエルンスト・キューネル、Kühnel, Ernst(1882-1964)の主要著書、東洋美術史家ウィリアム・コーン(1888-1961)が編纂した東洋美術叢書の第7巻で、フランス語、トルコ語にも翻訳されており、日本の大学付属図書館などにも多く所蔵されている(http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA08892625)。

蔵書印あり。紙片は孝四郎自身による。

 

 

 

 

 

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Schiefler, Gustav (ed.), Edvard Munchs Graphische Kunst 1923

Schiefler, Gustav (ed.), Edvard Munchs Graphische Kunst, Dresden, Verlag Ernst Arnold, 1923

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エドヴァルド・ムンク(1863-1944)の版画作品集。
ハンブルクの裁判官、美術収集家で、ムンクと親交のあったグスタフ・シーフラー(1857-1935)による編集。22頁の概説および作品リスト、作品写真89葉。

蔵書印あり。紙片は孝四郎自身による。

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Kleist, Heinrich Von,Prinz Friedrich von Homburg,Leipzig, Verlag Philipp Reclam Jun.

Kleist, Heinrich von ,Prinz Friedrich von Homburg: Schauspiel; Universalbibliothek Nr. 178 Leipzig, Verlag Philipp Reclam Jun.

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ドイツの劇作家、ジャーナリスト、小説家であるハインリヒ・フォン・クライスト(1777-1811)の晩年の戯曲『公子ホンブルク』、ドイツの出版社、レクラム社のペーパーバックシリーズ「世界文庫」(通称「レクラム文庫」)のひとつである。

孝四郎の蔵書にクライスト、とは奇妙に思われるかもしれないが、人形劇に対する関心を思えば、さほど不思議ではない。出版年の記載はないが、海外の古書販売サイトは、1910年代の出版としている。

国立国会図書館に所蔵されている最初の邦訳『公子ホンブルク』(岩波書店)の出版年が1921年となっていることから、孝四郎がこの本を入手したのは、それ以前であるか、邦訳が出版されているにもかかわらず、原書を入手したことになる。その熱意は、本文72頁のうちのほとんどに、書き込み(日本語訳や、辞書に書かれていたと思しき、ドイツ語用法についてのメモ)があることからもうかがわれる。

さて、孝四郎のドイツ語能力であるが、獨協大学に保存されている明治38年度の「獨逸學協會學校中學第貮年級乙組試驗成績表」によれば、その評価(「書取 習字」など4項目による評価)は際立ってよくもないが落第点もないといったところであろうか。「優」、「良」などの格付けが現在と違い、厳密に確定することは難しいとのことである。

 

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

LIFE, International Edition, March 21, 1955

LIFE, Vol. 18, No.6 International Edition, March 21, 1955, Time Incorporated, Chicago

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1955年3月21日付のLIFE誌国際版

意外に思われるかもしれないが、孝四郎の蔵書のなかに、アメリカで出版されたものは少ない。しかもそれらには、精読、愛蔵のいずれの証も、いまのところ見つかっていない。

蔵書には、
翻訳、挟み込み、貼り込み、書き込みなど精読の形跡があるもの、
蔵書印が、何を、何色で、どこに、どのように、といった押し方にも書籍のデザインとの調和や自身の感性に従ったこだわりを見せて押されたものがあり、それらが、孝四郎の書籍に対する関心、愛着を示している。
アメリカで出版されたものに、それらは見受けられない。

表紙は、カリブ諸島ご旅行中のマーガレット王女。孝四郎は、父が宮内省勤めであったためか、家族のあいだで皇室の話題は比較的馴染み深いものであったようだが、敬う心を疎かにすることなく、食卓で子供らが「てんちゃん」などと言うと、叱責されたという。

1955年は孝四郎の亡くなった年、6月3日は命日である。

 

 

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Gregor Krause,BALI : Land Volk Tänze Feste Tempel 1926

Gregor Krause,BALI : Land Volk Tänze Feste Tempel, Georg Müller Verlag A.G., München, 1926

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ドイツ人医師、グレゴール・クラウゼ(1883-1959)の写真集、バリ島の自然、ひとびとの日常生活、精神生活、芸能などを撮影して、バリのイメージ形成に大きな影響を与えた著作のひとつ。

紙片は孝四郎自身による。

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Autori Vari, il Pittore e il Decoratore Moderno

Autori Vari, il Pittore e il Decoratore Moderno Primo Volume., Casa Editrice “L’artista modern”, Torino

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絵画、壁画、舞台美術スケッチ、コスチュームデザイン画、壁面(天井、床面、ステンドグラス、絨毯などを含む)装飾、装飾のモチーフなど様々な表現をモノクローム写真で紹介。1920年代頃の出版と思われる。

「丸善神田支店」の値札シールあり。

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Carl Köhler, Emma von Sichart(ed.), Praktische Kostümkunde 1926

Carl Köhler, Emma von Sichart(ed), Praktische Kostümkunde : in 600 Bildern und Schnitten nach Carl Köhler, bearbeitet von Emma von Sichart : Von der Mitte des 16. Jahrhunderts bis zum Jahre 1870.  F. Bruckmann, München 1926

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ドイツ人の画家、イラストレーター、服飾研究者による、写真、絵画、型紙など、豊富な実例によって綴られた服飾史。

紙片、メモは孝四郎自身による。

ご報告

ご報告

「恩地邸」あるいは「恩地孝四郎邸」と称されている建築について 

「恩地邸」あるいは「恩地孝四郎邸」と称されている建築(杉並区)は、1932年、遠藤新設計により建設された。

遠藤新の特徴的な片流れ屋根のアトリエからは、孝四郎の重要な作品が生まれ、孝四郎の死後は、長男・邦郎の絵画制作や邦郎を中心とした研究・調査の場などに用いられ、数多くの研究者や見学者、美術家などが訪れたが、法的係争の結果、解体され、存在しない。

法的係争、すなわち、孝四郎の長女・三保子の長男・宏、次男・惇を原告とし、邦郎の長女・元子を被告として、裁判所で審議などが行われていたことは、当然のことながら、審議の度に裁判所に公示されていたものであり、このことは既に、多数の人の目に触れている事実である。

三保子は下川有恒氏と結婚後離婚、恩地家に、長男・宏、次男・惇を伴って戻った。彼らは、孝四郎長男・邦郎の生存中に、邦郎、孝四郎次女暁子の長男と同じ権利を土地について要求し、応接間の中央より奥の部分(その土地上にアトリエ、展子レッスン室などが存在、家屋は最終的に邦郎が所有)を取得、邦郎生存中より、その土地利用について親族会議が行われたが、邦郎が亡くなるとそれを買い上げるよう展子に申し入れ、展子の死後、ついに法的係争に至った。

裁判を起こされたときは、邦郎長女・元子に、すべて壊して更地にするか、土地を買い上げるかの2択が迫られたが、展子が保存、記録していた(家族の献立表、年度ごとの居住地にいたる)資料、データにより、三保子、息子二人の家族とも、私的事情、あるいは仕事により出入りが多く、「一家」としての体裁と実態をもって住み続けておらず、孝四郎の偉業の継承と、妻・のぶの老後の世話の担い手が、邦郎、展子、元子であったことが証明され、宏、惇の要求は棄却された。その後さらに、宏、惇が、東京高等裁判所に控訴、和解にいたった。

遠藤新の堅固な構造に対する信頼を頼みに、元子は、宏、惇の土地上の建物のみを壊す案を提案し、杉並区の建物保存に関わっている建築家たちの協力と、分筆線の調整により、実現に至った。現在、その土地上、および孝四郎が版材として使用した木々などが植わっていた庭の上には、他家が住まいしている。

解体部分については、遠藤新専門の研究者が記録を取り、重要なパーツ、および、孝四郎の創作活動に関する資料、孝四郎が使用した道具類は保存された。

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遠藤新建築のアトリエなどの解体にいたる経緯

原告、恩地宏(おんじひろし、恩地三保子長男)、 恩地惇(おんぢあつし、恩地三保子次男)、被告、恩地元子(恩地邦郎長女)として、それぞれ代理人を立て、審議を経て、和解にいたった。

・平成18年11月8日 東京簡易裁判所民事部に、「建物収去土地明渡等」の調停申立が成される。

・平成19年7月18日 東京地方裁判所民事部に、「建物収去土地明渡請求」が成される(平成19年(ワ)第18251号)。

・平成22年3月26日 東京地方裁判所民事部より、「原告らの請求をいずれも棄却する」という判決言渡が成される。

・平成22年4月7日 東京高等裁判所に、建物収容土地明渡請求の控訴が成される。

・平成23年3月30日 東京高等裁判所民事部において和解が成立する。

その後、宏、惇の土地上の建物収去、元子建物の修復、土地整地が行われた。