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ご紹介, 装幀の仕事(孝四郎)

廣津和郎 『狂った季節』  1950年

廣津和郎 『狂った季節』 六興出版社、1950年

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「表紙はケント紙に紙皺模様を灰靑と灰橙2色で重ね刷り」、函は「白洋紙に木版技法で灰紅色の木の葉を移した」(いずれも『恩地孝四郎 装本の業』掲載、邦郎によるコメント、150頁)。函の中央は、その形状から朴ノ木の葉と思われる。

孝四郎は、獨逸学協会学校中学(旧制獨協中学校)を1909年(明治42年)に卒業(『獨協学園史 資料集成』(獨協学園、2000年))。学園に保存されている在学中のドイツ語の成績に落第点はない。フランス語は独学。

欧文蔵書のうち、ドイツ語、フランス語によるものは数多く、この二つの国に深い関心を寄せていたためか、孝四郎はドイツ、フランス、日本の木として、菩提樹、マロニエ、朴ノ木を庭に植樹した。

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木の葉が葉脈のみとなったもの(この作品に使われたというわけではない)。
邦郎が資料として保存していた。

 

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Kunst und Künstler : illustrierte Monatsschrift für bildende Kunst und Kunstgewerbe、Jahrgang XIX, Heft VIII,1921

Kunst und Künstler : illustrierte Monatsschrift für bildende Kunst und KunstgewerbeJahrgang XIX, Heft VIII、Verlag Bruno Cassirer,Berlin, 1921

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ドイツ人の出版人ブルーノ・カッシーラー(1872-1941)が、ベルリンで発刊した挿絵入り美術月刊誌。ダンテ「神曲」の、ボッティチェリによる挿絵についての論考が掲載されており、表紙に孝四郎の字で、Botticelli Göttliche Komödie とある。

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「K.Onchi Dec.1921」の書き込み。白木屋のタグあり。

挟み込まれている紙片には、父、轍の肖像。

 

 

ご紹介, 所蔵(邦郎)

弔詞 (安井曾太郎)

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日本芸術院会員、帝室技芸員、一水会委員、日本美術家連盟会長の要職にあり、東京美術学校、学制改革後、東京芸術大学美術部教授も務めた洋画家、安井曾太郎(1888-1955)による。

封筒に納めて、さらに和紙で包むという丁重なもの。
孝四郎没半年後に自身も逝去。

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ご紹介, 蔵書(邦郎)

アンリ・フォシーヨン『形の生命』 1969年

アンリ・フォシーヨン『形の生命』(杉本秀太郎訳)   岩波書店、1969年

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幾つかのページに傍線あり。早書きデッサンが得意だった邦郎らしい関心の表れも。

 

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

L’Amour de l‘Art, No.7, 1924

L’Amour de l‘Art,     No.7, (juillet,1924) , Librairie de France

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美術総合月刊誌。
三越の包装紙によるカヴァーは孝四郎自身による。

紙片、貼りこみは、孝四郎自身による。
挟み込まれているスペイン語の新聞“La Prensa”(12.12.1926)がどこから切りぬかれたかは不明。

 

 

ご紹介, 装幀の仕事(孝四郎)

『江戸川乱歩 孤島の鬼・一寸法師・陰獣・其他』           1950年

現代大衆文学全集『江戸川乱歩 孤島の鬼・一寸法師・陰獣・其他』昭和25年、春陽堂

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木版原刻の連続模様による函については『恩地孝四郎 装本の業』(恩地邦郎編、三省堂、1982年)に解説のみあり。

 

ご紹介, 装幀の仕事(邦郎)

江戸川乱歩 『彼・幻影の城』1963年

江戸川乱歩 『彼・幻影の白』 東都書房、昭和38年

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函は、本と共通の木版と点描の組み合わせ。

邦郎の妻、展子によれば、孝四郎は、編集者が邦郎と打合せのために訪問すると、玄関の冷たい床にぺったりと座りこんで、付き添っていたという。
「邦先生は字がなあ・・・」と呟いていた由。

邦郎が、書体に苦手意識をもっていたかどうかは分からないが、装幀作品は多くないかわりに、勤め先の学校などのためにカットをよく手がけていた。

 

ご紹介, 所蔵(邦郎)

装幀用道具類

邦郎使用。孝四郎より受け継いだものと思われる。

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ご紹介, 所蔵(邦郎)

日本色彩研究所編著 『新色名帖』              

日本色彩研究所編著『新色名帖』               日本色彩社、1956年

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邦郎が装幀の仕事のために使用していた色名帖。

元子幼時の遊び道具。

さすがに烏口は尖端が危険と思われたか、触る機会は得られなかったが、これは何故かいつも手の届くところにあった。

ぱらぱらとページを繰ると思いがけない色の組み合わせが現れ、“美しい”組み合わせではないものも、それはそれで面白いと感じられた。

思えばこれが、邦郎から娘、元子への、最初で最後の色彩教育であった。

この色名帖から、邦郎が小さな四角を切り抜き、何か描かれた紙の脇に並べて貼りつける作業を見るのは楽しく、しかるのちに訪れる客人(編集者)にその紙が渡されると、時をおいて書籍が帰ってくる。これには驚かされた。

だからといって、これらのことをもとに将来はブックデザイナーになりたいなどと元子はついぞ考えたことがなかった。

 

 

 

 

 

 

ご紹介, 装幀の仕事(孝四郎)

『文蓺春秋』 1945年

『文藝春秋』昭和二十年十月號(第二十三巻 第四號)復刻版、文藝春秋

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平成七年十月号 綴じ込み付録。

編集後記に「復活第一號とも謂ふべき本號・・・・」とある。

この復刻版が出版社より贈られたとき、邦郎は使われた判子を探し出して、摺りに使った紙の残りの紙片に「表紙に使用」と書き、それを判子に巻いて保管していた。

『恩地孝四郎 装本の業』(恩地邦郎編、三省堂、1982年)には掲載されていない。